• ユメノツヅキ

    Yumenotsuzuki-photo
    ユメノツヅキ(光永泰一朗 & 光永亮太)
    それぞれソロアーティストとして10 年以上活動してきた兄弟が 2013 年12 月、満を持してユニットを結成。
    共に幼少期を過ごしたシカゴで吸収した80’s US Billboard Music を軸とする 上質なメロディ。
    聴き手をそっと包み込むような優しくて強いメッセージ。
    そして異なる成分を持ちながらも重なる兄弟ならではの独特のハーモニー。
    日本屈指の雨男コンビが「笑顔と元気と勇気」を合言葉に本格始動。
  • Taichirou-photo

    光永泰一朗

    (兄・Vo.・Cho.・小道具・作詞)
    生年月日:1976年9月12日
    身長:185 cm 血液型: AB型
    SPECIALITY: 司会役と自由役の両方をこなすMC 人格模写、名前ゲーム、Basketball
    TOEIC SCORE:985

    8歳から6年間をアメリカ・シカゴで過ごし、80’s Musicをリアルタイムに肌で感じて育つ。
    ラジオから流れて来た”We are the world”に感動し、ぼんやりと音楽の道を目指し始める。
    小学生の頃に組んだバンドではDrumsを担当し、次第にごく自然に歌い始める。
    14歳で帰国後はバスケットボールに打ち込みながら(主将・国体神奈川県代表)も、 Black Music, R&B, 安全地帯, 山下達郎, Sing Like Talkingなど様々な音楽を吸収し、 この頃から本格的に歌手を志し音楽活動を開始する。
    2002年、DreamusicよりCOVERのVo.としてメジャーデビュー。
    以後BLUE AGE ORCHESTRAを経て、2005年よりソロ活動を開始。
    同時に、自身が主催するライブイベント”Off the Record” Production(通称オフレコ)を立ち上げ、 2014年5月現在、開催18回を数え全ての回でSOLD OUTの人気イベントとなった。
    2007年8月、プロデューサーに盟友・蔦谷好位置を迎え、 ソロデビューアルバム「僕はここにいるよ」をリリース。
    2007年8月22日発売 QACJ-30001 発売元:J’s RECORDS 販売元:日本コロムビア(株)

    同年には実弟・光永亮太と共にMicro(Def tech)のソロアルバムに参加し、ツアーにも出演。
    翌年には主催イベント3周年の記念コンピレーションアルバムをリリース。
    2009年フジテレビ音楽情報番組「魁!音楽番付」はちたまミュージックオーディションで 月間最優秀パフォーマンス賞を受賞し、 翌年にはフジテレビと国連のコラボレーション「LOVE THE EARTH」のコンピアルバムに参加。

    以後、大黒摩季、So’ Fly、Nerdhead、Unlimited tone、澤田かおり、DESTINOなど、 様々な作品にFeaturing Artistとして参加。楽曲共作や歌詞提供もしている。
    2012年にはセカンドアルバム「その先へ」を発表。
    音楽活動以外でも、ニッポン放送インターネットラブソングステーション「Suono Dolce」 内Tokyo After6(3時間生放送番組)のナビゲーターを3年間(2012年番組終了)務め、 新番組ではオープニングテーマ・ジングルを提供。
    2011年には「これでいいのだ!映画☆赤塚不二夫」(浅野忠信・堀北真希主演)に出演。

  • Ryota-photo

    光永亮太

    (弟・Vo.・Gt.・Cho.・作曲)
    生年月日:1980年5月4日
    身長:178cm 血液型: A型
    SPECIALITY: Soccer、陸上競技、サーフィン、料理、腕相撲
    TOEIC SCORE:830
    4歳から10歳までをアメリカのシカゴで育つ。
    帰国後11歳でエレキギターをはじめる。
    同時にスポーツに明け暮れ、13歳の頃にはJリーグジェフ市原(当時)のJr.ユースに選出。
    その後陸上に転向し、中学3年時には陸上三種競技A(100m、砲丸投げ、走高跳)で全国優勝。
    三種競技Aの東京都中学記録を出す。四種競技への移行に伴う競技の廃止まで記録は保持された。
    走幅跳でも6m93cmの記録を残し、同年の全国ランキング1位の記録を残す。
    高校進学後も陸上を続けるが、16歳でキャリアに終止符を打ち、音楽の道へ。
    数々のオーディションを受ける日々が続くが落選の日々。
    音楽活動を開始してから6年後̶。
    2002年4月『Changes』でインディーズデビュー。
    各地FM局や出演したイベント等で高い評価を得る。

    2003 年2 月フジテレビ系「いつもふたりで」主題歌「Always」でメジャーデビュー。
    オリコン5位を記録。約43万枚を売り上げる。
    同年7月には、ファーストフルアルバム「Inside my heart」をリリースしオリコンチャート10位を記録。
    日本ゴールドディスク大賞「ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー」を獲得。

    2006年2月通算6枚目のシングル「Day By Day」をリリース。
    カップリングの「Over」はかつてジュニアユースに所属していたジェフユナイテッド市原・千葉の オフィシャルサポーターソングとなる。

    2011年、7年ぶりとなるセルフプロデュースアルバム「LIFE IS BEAUTIFUL」をリリース。

    mihimaru GT、Tiara、大黒摩季、miCKun、Micro Of Def Tech 等のアーティストとのコラボレ ーションや、数々のアーティストへの楽曲提供、作詞、プロデュースも行なっている。

BIOGRAPHY

  • 1976年

    泰一朗誕生

    1980年

    亮太誕生

    1980〜1984年

    この頃、まだ泰一朗は弟・亮太に優しかった。

    1985年

    父親の仕事の関係でシカゴへ。

    1985〜1990年

    シカゴに渡ったのを機に泰一朗の絶対王制スタート。亮太、使いっ走りの日々。2段ベッドを毎晩蹴り上げられて、亮太眠れない。一方で、ふたりで披露するWhamや安全地帯の歌真似が両親の友人たちに褒められる。有頂天になる。

    1990年

    日本に帰国。後ろ髪の長い兄弟として巷で噂になる。

    1991年〜1992年

    気付いたら日本生活にどっぷり馴染む。亮太、泰一朗の悪口を友達に言いふらす日々。

    1992年

    亮太、小学校6年の時にアメ横でカツアゲされる。この時ばかりは泰一朗が優しかった。

    1993〜1994年

    亮太はサッカー、泰一朗はバスケに没頭。お互いあまり顔を合わせない。

    1995年

    亮太、初めて泰一朗に腕相撲で勝つ。亮太、昼休み返上でベンチプレスをする日々が報われる。

    1996〜1997年

    泰一朗が一人暮らし。亮太、ようやく自分の部屋をゲット。毎日がハーレム。

    1998年

    泰一朗が実家に戻ってくる。お互いの腕力がピーク。掴み合いの喧嘩で家中が壊れる。母親は泣き叫ぶ日々。仕方なく、自分の部屋欲しさに今度は亮太が一人暮らし。

    2002年

    泰一朗がCOVERとしてメジャーデビュー。亮太、インディーズデビュー。

    2003〜2007年

    お互い顔を合わせてもほとんど喋らない日々が続く。ズバリ「険悪期」。

    2008年

    大黒摩季さんとご一緒した宮崎のNAMI FESを機に「なんかいっしょにやってみっか!」と軽い感じで一曲セッション。But、すぐに終わる。

    2009年

    兄弟主催のイベント『Super Soul Sessions』開催。中西圭三、中澤信栄、日ノ内エミ、chihiRo(ジルデコ)をゲストに迎え、成功を収める。この頃から徐々にお互いデュオ結成を意識か!?

    2011〜2012年

    泰一朗からユニット結成の再三のラブコールも亮太が却下。長年待ち続けた「亮太王朝」の到来か?

    2013年

    再三にわたる泰一朗のラブコールが実り(笑)、この年の12月に「夢のつづき」を結成。作詞を泰一朗、作曲を亮太と分けて制作を開始。「もし面白くなかったらすぐに解散しよう」という約束のもと、大阪で初お披露目。

    2014年

    思いのほか面白かったのか、この年の3月、5月と全国ツアーを敢行。また7月にもワンマンを東京と大阪で開催。

    2014年8月6日

    ユニット名を「ユメノツヅキ」に改名。ひとりでも多くの人を笑顔にするために、建設的な喧嘩は継続中。